2014年2月23日日曜日

春のあしおと

 この週末、快晴とまではなりませんでしたが、久しぶりに雨も雪も降らない休みとなりました。
そんな中、昨年始めて花を咲かせたウチの河津桜が今年も咲き始めました。



昨年は、ほんの四つ五つの花が咲いただけでしたが、今年は枝中全体に一気に花芽を付けており、これから先が大変楽しみです(笑)。



 
河津桜は一気に全てを開花せず、少しづつタイミングをずらして花を咲かせるため、ソメイヨシノのようにふわっとした花の付け方ではありませんが、その分長く花を楽しむことが出来ます。
いや~、これから3月にかけてホントに楽しみだな~(笑)。
 
さて、折角の晴れ間の休みでしたので、久しぶりにBAJAを引っ張り出していつものお散歩コースを走らせてきました。風は少々冷たかったのですが、それでも先月末と比べると、日々春に向かっててきていることが感じられます。
 
お散歩の後は、やっぱり工作です(笑)。
先々週、先週と雪が降る中、オークションでこんなモノを入手しておりました。
 

入手したのはコチラ、新たにPCを手に入れてみました。もちろん、型落ちの中古品ですが(笑)。


ディスプレーも同時に激安中古を入手しました。ワイド画面ではありませんが、サイズは19インチをチョイスしてみました。キーボードはアキバのジャンク屋で激安の新品を購入してきました。

早速、OSインストールを行いました。OSはWin7です。


DELLのOptiPlexはビジネス仕様ですので無線LANのボードは内蔵されておりません。そんな訳で、USB2.0接続たいの無線子機を購入してきました。


今回購入したPCのプロセッサーは、今現在使用しているノートPCと同じCORE2 Duoが搭載されております。それでも、ほんの少しだけクロックが早いものが奢られております。

画面も大きくなりましたので、これで文字も見やすくなりました。 
さて、画面は見やすくなりましたが、ブログの更新はどうなることでしょうかね~(笑)。


 


2014年2月17日月曜日

思い出のレーシングカー

 前回の初詣より1ヶ月以上もブログ更新をサボってしまいました(苦笑)。

まあ、決してネタが無かった訳ではないのですが、年明から社内の部署が異動となりまして、何かと気苦労が多い部署で四苦八苦しており、帰宅後にブログアップする気になれずに、ついつい時間が経過した次第です(笑)。

さて、近々2週の週末ですが、関東地方は数十年ぶりの大雪に見舞われて、バイクで出かけることも出来ず、悶々とするなか、雪かきで体中のそこ彼処が軋んでおりました。

この週末はウチの大木もこんな有様になっております(苦笑)。
 

 
このままではご近所さんの車が通れませんので、立ち上げて添え木を当てる応急処置をしておきました。それにしても凄い雪ですねぇ。隣の田んぼも真っ白です。
 

 
そんな訳で出かけることも出来ませんでしたので、古いアルバムを整理しておりましたところ、懐かしいレーシングマシンの写真が出てきました。
 
さて、この写真は一体何処で、何のレースでしょうか。
 

実はこの写真、1976年に富士スピードウエイで開催されたF1日本GPの写真です。ちょうどスタート前に各車がグリッドに並んだところです。

当時、私自身は中学生でしたが、ちょうどスーパーカーブームの最中であり、免許も無いのに車が大好きで、また、レースも大好きで、よくテレビでGCレースなんかを観ておりました(笑)。

当日はとんでもない大雨で、とてもレースができるような状況ではなかったのですが、時間を繰り下げて強行決行となりました。ご存知の方も多いと思いますが、この年、日本で始めてF1が開催されました。

この年はディフェンディング・チャンピオン Ferrari のニキ・ラウダが2連覇を目指しておりましたが、ドイツGPでの大クラッシュにより2戦欠場となり、その間に McLaren のジェームス・ハントがポイントを積み上げ、最終戦の日本GPでチャンピオンが決まる一戦でした。

これは、#11 McLaren M23のジェームス・ハントと、優勝した#5 Lotus77のマリオ・アンドレッティの雨中のバトルシーンです。水しぶきが当時のコンディションを物語っていますね。
いやー、それにしてもカッコ良いですね。

 
これは途中でリタイヤした #1 Ferrari 312T2のニキ・ラウダです。
ラウダは2周で自らリタイヤし、3位に入ったハントがチャンピオンとなりました。


#19 Surtees TS19 のアラン・ジョーンズです。まあまあの流し撮りでしょうか(笑)。
このチームからは、#18で高原敬武が出場しておりました。


当時、日本人選手として、#18 Surtees TS19の高原敬武、#21Williams PW05の桑島正美、#51 KE007の長谷見昌弘、#52 Tyrrell 007の星野一義が出場しておりました。
最悪のコンディションの中、ファステストラップは何と長谷見選手がマークしております。

この時代のF1はFerrari 312T2のフェラーリ製エンジン、Ligier JS5のマトラ製エンジン、Brabham BT45のアルファ・ロメオ製エンジンがオリジナルのV12エンジンで、それ以外のマシンは全てフォード・コスワース製DFVのV8エンジンだったので、マシンの性能がイコールコンディションに近く、ドライバーの腕で勝敗が競われていたので、今より面白いレース内容でした。

F1日本GPは翌年1977年にも同じ富士スピードウエイで開催されましたが、Tyrrell P34 のロニー・ピーターソンとFerrari のジル・ヴィルヌーヴの第1コーナーでの大クラッシュにより、観戦者の方が亡くなる事故が発生し、それ以降中止となってしまいました。
1987年の鈴鹿サーキットでのF1日本GPまで、10年あまり日本ではF1が開催されませんでした。

当時、私の一番好きだったマシンはやはりコレ、McLaren M23でした。
下の写真は、1977年(昭和52年)10月16日に晴海の国際見本市会場で開催された、第7回東京レーシングカーショーで撮影したものです。

ご覧の通り、ジェームス・ハントが乗っていた車両そのもです。ハントのヘルメットも一緒に展示されておりました。


当時、大好きなMcLaren M23や、これまた大好きだった異色のGCマシン、紫電77が展示されるとの事で、喜び勇んで晴海まで自転車で出かけたのを覚えております(笑)。

McLaren はこの後のM26も好きでしたが、やっぱり一番はM23ですね。


コレは日の丸マシン、コジマ・エンジニアリングのKE009ですね。
1976年のKE007に続き、1977年の日本GPに出場しておりました。KE009には星野一義選手と高原敬武選手が乗っていました。


この車両は、これまた当時大好きだったGCマシンで、その中でも異色のマシンであった紫電77です。会場で見てビックリしたのが、クローズドトップのボディのはずが、オープントップになっておりました。紫電77はこの翌年に、紫電改としてオープントップになるのですが、これはその車両ともコックピットの形状が違います。ゼッケンにRが付いているので、スペアカーなのでしょうか。

当日はスタイル抜群だったクローズドトップの車両を期待していたので、チョッと残念だったことを思い出しました(苦笑)。まあ、それでもやっぱりカッコよいですねぇ(笑)。


この車両は、1977年にGCに出場していた、清水正智選手の#33 Vitalis7000 Marchです。
当時のGCはほとんどがこのようなオープントップスタイルでしたので、先の(クローズドトップの)紫電77はホントに異色のマシンでした。

 
このショーの当日はレーサーの方々によるサイン会も開催されており、長谷見昌弘選手、高橋国光選手、寺田陽次郎選手、桑島正美選手からサインを貰いましたっけ(笑)。
 
ちょうど今月より、「ラッシュ/プライドと友情」という映画が封切になりました。
Ferrari のニキ・ラウダと McLaren のジェームス・ハントを主人公にしており、まさに先の1976年の出来事などをモチーフにした映画です。
 
これは絶対に見に行かねばなりませんよね(笑)。